プロ野球の歴史に刻まれた世紀の乱闘事件:野村克也の退場劇と審判の決断
1987年の巨人と中日の試合で起きた世紀の乱闘事件を振り返り、審判の決断とその背景を詳しく解説。

世紀の乱闘事件の背景
1987年6月11日、巨人と中日の試合で起きた乱闘事件は、プロ野球史に残る大きな出来事でした。この試合の球審を務めたのは、名審判として知られる小林毅二氏です。小林氏は、32年にわたる審判人生で2898試合をジャッジし、退場宣告はわずか3度という記録を持っています。
事件の詳細
この日、巨人のウォーレン・クロマティ選手が死球を受けたことで、試合は一気に緊張感を増しました。クロマティ選手は、中日の宮下昌己投手に突進し、右ストレートを左頬に叩き込みました。小林氏は、この場面で両者の間に割って入ろうとしましたが、体格とスピードの差から、止めることはできませんでした。
審判の決断
小林氏は、乱闘が収まらないと判断し、無理に中に入るのではなく、外から状況を見守ることにしました。その後、責任審判の柏木敏夫氏が、観客に「クロマティ退場」の事情を説明しました。この事件で退場処分になったのは、クロマティ選手一人だけでしたが、試合は「警告試合」として再開されました。
監督の反応
中日の星野仙一監督は、巨人の王貞治監督に対して、拳を握りしめるという態度を示しました。これは、野球界ではセンセーショナルな出来事として語り継がれています。小林氏は、この場面について、実際に暴力があったわけではなく、審判員に対する暴言や暴行もなかったと述べています。
審判の役割
この事件を通じて、審判の役割とその重要性が浮き彫りになりました。審判は、試合の流れをコントロールし、公平なジャッジを下すことが求められます。小林氏のような名審判の存在が、プロ野球の歴史を支えてきたのです。