メジャー挑戦を断ったヤクルトの歴代選手たち
ヤクルトスワローズには、MLB でのプレーを望んでいたが、様々な理由で実現できなかった選手が数多く存在する。今回は、そんな選手たちを紹介する。


川崎憲次郎:故障との戦い
投打:右投右打 身長/体重:182cm/87kg 生年月日:1971 年 1 月 8 日 経歴:津久見高 ドラフト:1988 年ドラフト 1 位
ヤクルトスワローズで 2 桁勝利を 4 度記録し、エースとして輝いた名投手が、川崎憲次郎だ。津久見高校では 3 年の春夏時にエースナンバーを背負い、甲子園で名勝負を演じた川崎。1988 年ドラフト 1 位でヤクルトへ入団した。
高卒 1 年目から完封勝利を含む 4 勝をマークすると、1991 年には 25 試合に登板し、14 勝 9 敗、防御率 2.91 の好成績を残し、前年から 2 年連続となる 15 完投(3 完封)を記録した。
1994 年以降は故障もあり不振に陥ったが、1998 年には 28 試合登板、17 勝 10 敗、防御率 3.04 をマーク。見事に復活を遂げ、最多勝、沢村賞に輝いた。
2001 年にはフリーエージェント(FA)権を行使。当時はメジャー球団も興味を示していたが、最終的に中日ドラゴンズへの移籍を決断した。
しかし、新天地では度重なる故障に悩まされ、登板したのは 2004 年の 3 試合のみ。中日では未勝利のまま、2004 年限りで引退を表明した。
故障もなく、メジャーリーグへの挑戦を選択していれば、どのような道を歩んでいただろうか。