【昭和の競馬史】タニノムーティエのダービー勝利と東スポ競馬の速報写真の誕生
昭和45年の日本ダービーでタニノムーティエが勝利した背景と、東スポ競馬が初めて速報写真を掲載した歴史的瞬間を振り返る。

昭和45年の日本ダービーとタニノムーティエ
昭和45年5月21日、東京競馬場で行われた日本ダービーの最終追い切りは、競馬史に残る重要な瞬間でした。この日、皐月賞を勝った関西馬タニノムーティエが、重馬場のダートコースを単走で駆け抜け、その姿が東スポ競馬の紙面に大きく掲載されました。
東スポ競馬の速報写真の誕生
それまで、大レースの追い切りはテキストのみで報道されることが一般的でしたが、この年のダービーで初めて速報写真が掲載されました。タニノムーティエの迫力ある写真は、読者に強い印象を与え、競馬ファンの間で大きな話題となりました。
タニノムーティエの勝利
タニノムーティエは、この好追い切りを経て、日本ダービーを快勝しました。東スポ競馬の「最初の速報馬」としての面目を保ち、昭和の競馬史にその名を刻みました。
当時のトレーニングポリシー
当時の最終追いは、長い距離を限界まで走らせて息と体をつくるというトレーニングポリシーが主流でした。タニノムーティエの計時したタイムは、10ハロン標識から加速を始め、直線追いで37.6秒を記録しました。現代のトレセン基準からすると驚異的な内容ですが、当時のオープン馬は非常にタフだったと言えます。
東スポ競馬の伝統
東スポ競馬は、伝統的に外面で速報記事を掲載し、大きな写真と派手な見出しで読者にアピールしてきました。このスタイルの原型が現れたのが、昭和45年5月の紙面でした。タニノムーティエの勝利は、東スポ競馬の歴史の中でも特別な位置を占めています。